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平野遼
Ryou Hirano
ひらの りょう

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  • 編む女 夫人/平野遼


  • 漁夫たち-Aナザレにて/平野遼
略歴  
【1927年 (昭和2年)】
2月8日、大分県北海郡佐賀関町に生まれる。
本名:平野は明。
間もなく北九州市八幡に移住。

【1930年 (昭和5年)】
母が亡くなり、戸畑に転居。

【1939年 (昭和14年)】
3月、戸畑男子高等小学校(現・沢見中学校)を卒業。

【1944年 (昭和19年)】
9月、17歳で現役兵として繰り上げ入隊し、野砲通信兵となる。

【1945年 (昭和20年)】
10月に除隊後、戸畑に戻る。
米軍のポスターや似顔絵を描いて生活。

【1949年 (昭和24年)】
上京。
第13回新制作派展で「やまびこ」が初入選。

【1950年 (昭和25年)】
北九州に戻り、小倉でアトリエを構える。

【1953年 (昭和28年)】
自由美術家協会展で優秀作家賞を受賞。

【1954年 (昭和29年)】
水野清子と結婚。

【1957年 (昭和32年)】
東京「南画廊」と若松「ドガ」にて水彩・ペン画・蝋画の初個展を開催。
以後国内各地で個展。

【1959年 (昭和34年)】
自由美術家協会会員に推挙される。

【1964年 (昭和39年)】
自由美術家協会を退会。
主体美術協会を結成し、創立会員となる。

【1974年 (昭和49年)】
渡欧。

【1975年 (昭和50年)】
主体美術協会を退会し無所属となる。

【1979年 (昭和54年)】
中近東に取材旅行。

【1987年 (昭和62年)】
西日本文化賞を受賞。

【1992年 (昭和53年)】
11月24日、心不全のため北九州で逝去。65歳。

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