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棟方志功
Shikou Nunakata
むなかた しこう

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    • 門世の柵/棟方志功


    • 二菩薩釈迦十大弟子/棟方志功


    • 花狐の柵「嬉しさの狐手を出せ曇り花」/棟方志功


    • 飛神の柵(御志羅の柵)/棟方志功


    • 流離抄板画柵》より〈獅子窟の柵〉/棟方志功


    • みみずく図/棟方志功
略歴  
【1903年(明治36年)】
9月5日、青森県青森市大町1丁目1番地で刃物鍛冶屋の三男として生まれる。屋号は藤屋。
父・幸吉、母・さだ。

【1920年(大正9年)】
青森地方裁判所の弁護士控所に給仕として雇われる。
仕事のない日や、早朝に合浦公園に出かけて写生をし、絵の勉強をする。

【1921年(大正10年)】
雑誌「白樺」に載ったゴッホの「ひまわり」に感動して、画家を志す。

【1924年(大正13年)】
9月、画家を志し上京。
本郷弓町渡辺家に下宿。
靴直しや納豆売り等をして、苦労しながら絵の勉強を続ける。

【1926年(大正15年)】
版画家川上澄生の作品を見て感動し版画を志す。

【1928年(昭和3年)】
版画家平塚運一を訪ね、本格的な木版画制作を始める。
版画誌「版」の同人となる。
第8回日本創作版画協会展、第6回春陽会展で版画が入選。
10月、第9回帝展で「雑園」(油絵)が初入選。

【1929年(昭和4年)】
春陽会に版画4点が入選。

【1930年(昭和5年)】
白日会白日賞を受賞。
国画会で版画4点が入選。
青森県北津軽郡鶴田町出身の赤城チヤと結婚。

【1931年(昭和6年)】
油絵と版画による初の個展を開催。

【1932年(昭和7年)】
国画会奨学賞、白日会F氏賞を受賞。
日本版画協会会員となる。

【1936年(昭和11年)】
4月、国画会に「大和し美し版画巻」を出品、日本民芸館に買上げらる。柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎ら民芸運動指導者に見出され知遇を受け、以降の棟方芸術に多大な影響を及ぼすことになる。

【1937年(昭和12年)】
国画会同人となる。
版画に宗教的境地が現れてくる。

【1938年(昭和13年)】
第2回新文展で「善知鳥版画巻」が版画界最初の特選を受賞。

【1941年(昭和16年)】
第5回国画会佐分賞を「釈迦十大弟子」が受賞。

【1942年(昭和17年)】
版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を制作し始める。

【1944年(昭和19年)】
富山県西砺波郡福光町の躅飛山光徳寺の襖絵「華厳松」を完成。

【1945年(昭和20年)】
東京代々木の自宅が空襲で消失。
戦前の作品や板木のほとんどを失う。
4月、戦争のため富山県西礪波郡福光町(現・南砺市)に疎開。この間東町鍛冶家の一間を借り、「雑華堂絵所」の小札を掲げ制作の場とする。
7月、光徳寺の襖を描く。
9月、河井寛次郎を讃仰した作品「鐘渓頌(しょうけいしょう)」の制作。
12月、荒町舟岡家を借り転居。

【1946年(昭和21年)】
7月10日~12月10日北陸夕刊に「綾錦」の挿絵を連載。
10月、第2回日展で「鐘渓頌」が岡田賞を受賞。
12月、福光町栄町に住居を建て転居。「鯉雨画斎(りうがさい)」と呼び、また谷崎潤一郎の命名にて「愛染苑(あいぜんえん)」ともよぶ。

【1948年(昭和23年)】
1月、東京空襲により板木焼失の「釈迦十大弟子」の文殊、普賢両菩薩を改刻。
4月、国画会の推薦新会員となる。
11月11日、北陸夕刊の特派員として「天皇拝従記」を書く。

【1949年(昭和24年)】
1月2日、白道舎襖絵を描く。

【1951年(昭和26年)】
11月25日、東京都杉並区上荻に転居。

【1952年(昭和27年)】
4月、第2回ルガノ国際版画展(スイス)で「女人観世音」が日本人初の優勝賞を受賞。
日本版画協会を脱会し、日本板画院を結成。

【1955年(昭和30年)】
7月、第3回サンパウロ・ビエンナーレ国際美術展で「釈迦十大弟子」が日本人初の版画部門最高賞を受賞。
「世界のムナカタ」の地位を確立。

【1956年(昭和31年)】
6月、第28回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展で「柳緑花紅頌」が日本人初の国際版画大賞を受賞。

【1958年(昭和33年)】
日展会員となる。

【1959年(昭和34年)】
ニューヨークのジャパンソサエティーの招きで渡米。
各地の大学で版画を講義。個展開催。

【1960年(昭和35年)】
日展評議員となる。
青森県褒賞を受賞。
患っていた眼病が悪化し、左目がほとんど失明。
日版会設立(日展に版画部を設置するため)。

【1962年(昭和37年)】
真言密宗大本山日石寺より法眼位をうける。

【1963年(昭和38年)】
藍綬褒章を受章。
大原美術館に棟方志功版画館が開館。

【1965年(昭和40年)】
昭和39年度朝日賞(文化賞)を受賞。
イタリア芸術院名誉会員となる。
ダートマス大学より名誉文学博士号を受ける。
紺綬褒章を受章。

【1969年(昭和44年)】
2月17日、青森市名誉市民第1号となる。

【1970年(昭和45年)】
11月、文化勲章を受章。
文化功労者となる。
毎日芸術大賞を受賞。
万国博覧会の日本民芸館に「大世界の柵」を発表。

【1971年(昭和46年)】
佐藤尚武郷土大賞を受賞。

【1972年(昭和47年)】
草野心平らとインド旅行。

【1974年(昭和49年)】
鎌倉市に「棟方板画館」が開館。

【1975年(昭和50年)】
日展常任理事となる。
9月13日、肝臓癌のため東京都杉並区の自宅で逝去。72歳。
青森市に棟方志功記念館が開館。
富山県福光町に棟方志功記念館愛染苑が開館。

【1982年(昭和57年)】
佐藤尚武郷土大賞を受賞。

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