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向井潤吉
Jyunkichi Mukai
むかい じゅんきち

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    • 遅れる春の丘より/向井潤吉


    • 岳麓好日/向井潤吉


    • 春泥の道/向井潤吉


    • 裏通りの酒蔵/向井潤吉


    • 献木伐採/向井潤吉


    • 石狩川河口の家/向井潤吉
略歴  
【1901年 (明治34年)】
11月30日、京都市下京区で生まれる。

【1914年 (大正3年)】
京都市立美術工芸学校に入学。

【1916年 (大正5年)】
京都市美術工芸学校を中退。
関西美術院に入学。人物のデッサン、油彩画の基礎を学ぶ。

【1920年 (大正9年)】
上京して川端画学校へ通う。
新聞配達で生計をたてながら、第6回二科会展に初入選。
その後京都に戻り関西美術院幹事になる。

【1927年 (昭和2年)】
渡欧。
ルーヴル美術館で模写に没頭し、技法、表現の研究を重ねる。
パリのグラン・ショミエールに通う。

【1928年 (昭和3年)】
サロン・ドートンヌに出品。

【1930年 (昭和5年)】
帰国。
第17回二科会展に滞欧作を特別出品し、樗牛賞を受賞。

【1933年 (昭和8年)】
世田谷区弦巻にアトリエを構える。

【1936年 (昭和11年)】
二科会会員となる。

【1937年 (昭和12年)】
陸軍報道班員として、戦争記録画の制作に従事。

【1945年 (昭和20年)】
行動美術協会を創立。
ライフワークとなる民家シリーズの制作を始める。

【1959年 (昭和34年)】
渡欧。ヨーロッパ各地を写生し巡る。

【1961年 (昭和36年)】
アトリエを不審火で消失。貴重な作品、資料を失う。

【1966年 (昭和41年)】
訪中日本代表団の一員として、北京、上海、蘇州などをめぐる。

【1982年 (昭和57年)】
世田谷区名誉区民となる。

【1993年 (平成5年)】
向井潤吉アトリエ館が開館。

【1995年 (平成7年)  】
11月14日、急性肺炎で、自宅において逝去。93歳。
アトリエ館において、「お別れの会」を行う。

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