- 荻須高徳
- Takanori Ogisu
- おぎす たかのり
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サン・ドニのたばこ屋/荻須高徳
カフェ・タバ/荻須高徳
雪のイノサン公園/荻須高徳
フラン・ブルジョワ通り/荻須高徳
ミシュラン(黄色い壁の家)/荻須高徳
赤い家/荻須高徳
略歴 | |
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【1901年 (明治34年)】 11月30日、愛知県中島郡井長谷村大字井掘149番戸(現・稲沢市井堀高見町)で地主の次男として生まれる。父・荻須福次郎、母・こう。 【1916年 (大正5年)】 愛知県立第三中学校(現・津島高等学校)に入学。 【1921年 (大正10年)】 愛知県立第三中学校卒業後、上京し川端画学校に学び、藤島武二の指導を受ける。 【1922年 (大正11年)】 4月、東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科に入学。 【1927年 (昭和2年)】 3月、東京美術学校西洋画科卒業。 9月、渡仏。 【1928年 (昭和3年)】 署名をOGUISSとする。 サロン・ドートンヌに初入選。 佐伯祐三らとモラン写生旅行を行い、佐伯の死にも立ちあう。 【1934年 (昭和9年)】 ジュネーヴで初の個展を開催。 【1936年 (昭和11年)】 サロン・ドートンヌ会員に推挙される。 「プラス・サンタンドレ」がフランス政府に買い上げとなる。 【1937年 (昭和12年)】 「街角」がパリ市に買い上げとなる。 【1940年 (昭和15年)】 帰国。 新制作派協会の会員となる。 【1942年 (昭和17年)】 陸軍嘱託として仏領インドシナに派遣される。 【1944年 (昭和19年)】 横江美代子と結婚。 【1946年 (昭和21年)】 長女・恵美子が生まれる。 【1948年 (昭和23年)】 戦後初めて日本人画家として、フランス滞在を許され渡仏。 【1949年 (昭和24年)】 モナコ賞展で大賞を受賞。 【1953年 (昭和28年)】 ポピュリスト絵画賞を受賞。 【1954年 (昭和29年)】 第5回毎日美術賞特別賞を受賞。 【1956年 (昭和31年)】 フランス政府から、レジオン・ドヌール勲章を授与。 【1962年 (昭和37年)】 中日文化賞を受賞。 【1972年 (昭和47年)】 勲三等旭日章に叙される。 【1974年 (昭和49年)】 パリ名誉市民となり、パリ市より、メダイユ・ド・ヴェルメイユを授与。 【1977年 (昭和52年)】 サロン・ナショナル・デ・ボザール会員となる。 【1981年 (昭和56年)】 文化功労者に顕賞され、10年ぶりに帰国。 稲沢市を訪問。 【1982年 (昭和57年)】 フランス国立造幣局が、荻須高徳の肖像を浮彫にしたメダイユを発行。 【1983年 (昭和58年)】 8月2日、稲沢市荻須記念美術館が開館。 【1986年 (昭和61年)】 10月14日、パリのアトリエで制作中に逝去。84歳。 文化勲章を受章。 |