- 絹谷幸二
- Kouji Kinutani
- きぬたに こうじ
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アンジェラと蒼い空Ⅱ/絹谷幸二
薔薇/絹谷幸二
旭日照六合富士/絹谷幸二
炎々不動明王/絹谷幸二
旭日/絹谷幸二
招来七福神渡海/絹谷幸二
略歴 | |
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【1943年(昭和18年)】 1943年(昭和18年) 1月24日 奈良市元林院町で生まれる。生家は文化人がよく集まった猿沢池近くの料亭。小学校1年のときから西岡義一に油絵を学ぶ。 【1962年(昭和37年)】 3月、奈良県立奈良高等学校を卒業。 4月、東京芸術大学美術学部油画科に入学。 【1966年(昭和41年)】 2月、東京芸術大学卒業制作展(東京都美術館)に出品した「蒼の間隙」で大橋賞を受賞。 3月、東京芸術大学美術学部油画科小磯良平教室を卒業。 4月、東京芸術大学大学院壁画科に入学。島村三七雄教室でアフレスコ古典画を研究。 10月、独立美術協会第34回展で「諧音の詐術」が独立賞を受賞。 【1967年(昭和42年)】 10月、独立美術協会第35回展で「諧音の跡」が独立賞を受賞。 【1968年(昭和43年)】 3月、東京芸術大学大学院壁画科を卒業。同大学副手となる。 10月、独立美術協会会員となる。 【1969年(昭和44年)】 3月、第12回安井賞展で入選。 【1970年(昭和45年)】 7月、初の個展、絹谷幸二展を銀座 資生堂ギャラリーで開催。 8月、東京芸術大学副手を辞任。ブルーノ・サエッティからヴェネツィア・アカデミアでアフレスコの技術を学ぶべく招待を受ける。 【1971年(昭和46年)】 3月、大井宏美と結婚。新鋭選抜展(日本橋三越本店)で「記憶の跡」が優秀賞を受賞。イタリアに私費留学し、ヴェネツィア・アカデミアに入学。ブルーノ・サエッティ教授のもとでアフレスコ古典画法および現代アフレスコ画の研究に取り組む。 【12月、べビラックア・ラ・マーサ財団主催の展覧会で連作「りんご飛行」がラ・マーサ賞受賞。この作品はヴェネツィア近代美術館の買上げとなり、ヴェネツィア市立美術館での個展開催権を得る。 【1973年(昭和48年)】 6月、ヴェネツィア・アカデミアを修了。 7月、奈良・高松塚古墳の保存対策にあたるため文化庁からローマ中央修復研究所に派遣される。 9月、帰国。長男・幸太が生まれる。 【1974年(昭和49年)】 3月、第17回安井賞展で「アンセルモ氏の肖像」が安井賞を受賞。その後、東京国立近代美術館買上げとなる。 【1977年(昭和52年)】 10月、第11回文化庁芸術家在外研修員として渡米、渡欧。 昭和51年度文化庁優秀美術作品買い上げに「アンジェラと蒼い空II」が選ばれる。 【1978年(昭和53年)】 6月、イタリア・マニフェスト展(ヴェネツィア)でシルクスクリーンによるポスターがマニフェスト賞を受賞。ヴェネツィア・ビエンナーレ買上げとなる。 10月、帰国。 【1979年(昭和54年)】 5月、奥谷博、芝田米三ら11名と十果会を結成。第1回展(日本橋・高島屋)を開催。 【1982年(昭和57年)】 1月、雑誌「宝石」の表紙画を制作。1983年12月号まで連載。 【11月、日本大学芸術学部客員教授を辞任。 【1983年(昭和58年)】 2月、麻田総合病院(丸亀市)の壁画「文明にかける橋」が完成。 4月、武蔵野美術大学教授となる。 5月、第2回美術文化振興協会賞を受賞。 【1985年(昭和60年)】 2月、第2回日本青年画家展で「光ふる時」が優秀賞を受賞。次女・香菜子が生まれる。 10月、国立児童会館・こどもの城の壁画「アラベスク」を制作。 【1987年(昭和62年)】 2月、第4回日本青年画家展で「時の天使」が優秀賞を受賞。 3月、武蔵野美術大学教授を辞任。 4月、東京芸術大学美術学部講師となる。 6月、第19回日本芸術大賞を受賞。 7月、愛知県・一宮市博物館の壁画「あやなすまち、ひとひとひと」を制作。第2回国際映画祭のポスターを制作。 【1988年(昭和63年)】 2月、第5回日本青年画家展で「涙するカトリーヌ」が優秀賞を受賞。 7月、京都ブライトンホテルの大壁画「日・月・流星」を制作。 【1991年(平成3年)】 1月、第30回毎日芸術賞を受賞。 8月、文部省海外学術研究学術調査の一環として、ラスコー、アルタミラ洞窟などヨーロッパ先史時代の壁画を訪れる。 【1993年(平成5年)】 4月、東京芸術大学美術学部教授となる。 5月、ラ・ヴィータ(高知県)の天井画を制作。10月、国際交流基金の文化派遣事業により北京中央美術学院で「環境芸術」の講座開設。 【1996年(平成8年)】 10月、戸田競艇場メインスタジアムに壁画レリーフ「VINNTO PERTE」を制作。 12月、茨城県立医療大学付属病院に壁画「光降る街」を制作。 【1997年(平成9年)】 2月、長野冬季五輪の大会公式ポスターを委託され、「銀嶺の女神」他7種競技別ポスター原画を制作。 【1998年(平成10年)】 3月、奈良・明日香地方のキトラ古墳の学術調査団団員となる。全日本アートサロン絵画大賞展選考委員に就任。 【2000年(平成12年)】 5月、フランス国立造幣局の依頼でブロンズ作品「千の夢を持つ男」を制作。パリ造幣局美術館で展示。 【2001年(平成13年)】 3月、「蒼穹夢譚」が日本芸術院賞を受賞。日本芸術院会員に推挙される。渋谷・セルリアンタワーの陶壁画を制作。 12月15日、日本芸術院会員を就任。 【2004年(平成16年)】 1月、ニューヨーク領事館に「希望の太陽」を制作。2月、みなとみらい線横浜駅に設置(寄贈・崎陽軒)】される巨大陶壁画「VIVA YOKOHAMA」の原画を制作。 5月、日本橋・高島屋リニューアルのシンボル画「高島屋の薔薇」を制作。 【2008年(平成20年)】 6月、東京メトロ副都心線の渋谷駅に、パブリックアート「きらきら渋谷」を設置。 |