- 平山郁夫
- Ikuo Hirayama
- 平山郁夫(ひらやま いくお)
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月下シルクロードを行く/平山郁夫
バーミアン大石仏を偲ぶ/平山郁夫
シルクロードを行くキャラバン/平山郁夫
朝陽鳳凰堂 宇治平等院/平山郁夫
ラホールの月夜/平山郁夫
法隆寺/平山郁夫
略歴 | |
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【1930年(昭和5年)】 6月15日、広島県豊田郡瀬戸田町(現・尾道市瀬戸田町)で300年以上続く旧家の4男5女の3番目(次男)として生まれる。父・峰市、母・ヒサノ。 【1945年(昭和20年)】 8月6日、旧制広島修道中学(現・修道中学校・高等学校)3年在学中、学徒勤労動員の作業中、広島陸軍兵器支廠で被爆。 【1947年(昭和22年)】 4月、東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画予科に入学。 【1952年(昭和27年)】 東京美術学校日本画科を2席で卒業(主席は、妻となる松山美知子)。 卒業制作「三人姉妹」は同校買上げとなる。 東京芸術大学美術学部日本画科副手となる。 前田青邨に師事。 【1953年(昭和28年)】 第38回院展で「家路」が初入選。 東京芸術大学日本画科助手となる。 【1954年(昭和29年)】 第9回春の院展で初の奨励賞を受賞 (以後2回受賞)。 【1955年(昭和30年)】 日本美術院院友になる。 東京美術学校の同期生、松山美知子と結婚。 【1956年(昭和31年)】 長男・廉が生まれる。 【1959年(昭和34年)】 長女・弥生が生まれる。 板橋区成増町に画室を新築し、転居。 原爆の後遺症で制作面でも行き詰まっていたが、第44回院展に「仏教伝来」を出品し、入選。制作上の転機となる。 【1961年(昭和36年)】 第46回院展で「入湟槃幻想」が日本美術院賞(大観賞)を受賞。 東京国立近代美術館買い上げとなる。 日本美術院特待になる。 【1962年(昭和37年)】 第47回院展で「受胎霊夢」「出現」が日本美術院賞を受賞。 10月、第1回ユネスコ・フェロープにより約6ヶ月ヨーロッパヘ留学。 【1963年(昭和38年)】 第48回院展で「建立金剛心図」が奨励賞(白寿賞・G賞)を受賞。 【1964年(昭和39年)】 日本美術院同人になる。 第49回院展で「仏説長阿含経巻五」「続深海曼茶羅」が文部大臣賞を受賞。 東京芸術大学美術学部日本画科講師となる。 【1965年(昭和40年)】 日本橋三越で第1回個展を開催。 【1966年(昭和41年)】 6月、東京芸術大学第一次中世オリエント遺跡学術調査団に参加しトルコヘ。 ウフララ渓谷の中世キリスト教寺院、修道院の壁画模写に従事。 【1967年(昭和42年)】 法隆寺金堂壁画再現事業に携わる。第3号壁を担当。 【1968年(昭和43年)】 7・8月、中央アジアを旅行。 仏教伝来の源流を訪ね、この旅行がシルクロードに情熱を傾ける発端となる。 【1969年(昭和44年)】 東京芸術大学助教授に就任。 【1970年(昭和45年)】 日本美術院評議員になる。 【1972年(昭和47年)】 鎌倉に転居。 【1973年(昭和48年)】 東京芸術大学教授に就任。 高松塚古墳壁画の現状模写に従事。 5・6月、アレキサンダー大王東征路の考古学的調査団に参加。 7・8月、東京芸術大学イタリア初期ルネッサンス壁画調査団に参加。 【1974年(昭和49年)】 バチカン宮殿内現代宗教美術コレクションのため、「細川ガラシャ夫人」「古代東方伝教者」を寄贈。 ローマ法王パウロ6世より大聖グレゴリオ騎士銀褒章を贈られる。 【1975年(昭和50年)】 日本美術家代表団の一員として初めて訪中。 【1976年(昭和51年)】 第8回日本芸術大賞を受賞。 【1977年(昭和52年)】 第11回仏教伝道文化賞を受賞。 【1978年(昭和53年)】 第63回院展で「面禅院青邨先生還浄図」が内閣総理大臣賞を受賞。 【1979年(昭和54年)】 中国スケッチ旅行で初めて敦煌を訪れる。 【1980年(昭和55年)】 奈良薬師寺玄奘三蔵院の壁画制作に取り組む。 【1981年(昭和56年)】 日本美術院理事となる。 【1982年(昭和57年)】 第1回美術文化振興協会賞を受賞。 【1983年(昭和58年)】 9月、第1回東京芸術大学敦煌学術調査隊に参加。 【1984年(昭和59年)】 外務省日本中国文化促進代表団に参加。 薬師寺玄奘三蔵院の壁画制作に着手。 【1985年(昭和60年)】 北京中央工芸美術学院外国人名誉教授となる。 第2回東京芸術大学敦煌学術調査隊に参加。 【1986年(昭和61年)】 9月、NHK「大黄河展」取材のため中国旅行。楼蘭遺跡を取材。 【1987年(昭和62年)】 第3回東京芸術大学敦煌学術調査団に団長として参加。 【1988年(昭和63年)】 東京芸術大学美術学部長に就任。 ユネスコ親善大使に任命される。 文化財保護振興財団が発足し理事に就任。 【1989年(平成元年)】 11月、日本楼蘭学術文化訪問団団長として楼蘭遺跡を訪問。 東京芸術大学第6代学長に就任。 【1990年(平成2年)】 ポロブドゥール遺跡と海のシルクロード取材のため、インドネシアヘ。 【1991年(平成3年)】 フランス政府よりコマンドール勲章を授与。 【1992年(平成4年)】 中国日中国交正常20周年会議に出席。 早稲田大学名誉博士となる。 日中友好協会第4代会長となる。 【1993年(平成5年)】 (財)芸術研究振興財団理事長に就任。 11月、文化功労者として顕彰。 【1994年(平成6年)】 文化財保護振興財団理事長(現・文化財保護・芸術研究助成財団)となる。 【1995年(平成7年)】 12月20日、東京藝術大学学長を退官。 東京国立博物館特任館長となる。 モンブラン国際文化賞を受賞。 南京城壁保存修復協力事業日本委員会が設立され、会長に就任。 【1996年(平成8年)】 日本育英会会長に就任。 日本美術院理事長に就任。 来日中のシラク仏大統領よりレジオン・ドヌール勲章を受章。 【1997年(平成9年)】 ユネスコより、世界文化遺産保護の貢献に対し金メダル表彰。 故郷の広島県瀬戸田町に平山郁夫美術館が開館。 【1998年(平成10年)】 文化勲章を受章。 広島県名誉県民、広島市名誉市民に顕彰される。 ユネスコ親善大使となる。 滋賀県守山市に佐川美術館が開館。 【1999年(平成11年)】 平山基金を設立。 フランス人文科学アカデミー外国人客員会員となる。 米スミソニアン協会から日本人初のジェームズ・スミソン賞を受賞。 【2000年(平成12年)】 ウズベキスタン共和国芸術アカデミーからゴールドメダル顕彰。 12月31日、構想以来約三十年をへて、奈良薬師寺玄奘三蔵院「大唐西域壁画」が完成。 【2001年(平成13年)】 3月、タリバンによるバーミアン大仏の破壊について各国美術館に呼びかけ、抗議声明を発表。 8月、フィリピンのマグサイサイ賞財団よりマグサイサイ賞を受賞。 10月、国際文化交流に貢献した個人や団体に贈られる国際交流基金賞を受賞。 12月21日、再び東京藝術大学第8代学長に就任。 【2002年(平成14年)】 9月、中国政府より文化交流貢献賞を受賞。 早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター名誉所長に就任。 【2003年(平成15年)】 1月、朝日賞を受賞。 【2004年(平成16年)】 山梨県長坂町に平山郁夫シルクロード美術館が開館。 12月22日、大韓民国政府より北朝鮮の高句麗古墳群のユネスコ世界文化遺産登録に寄与した功績で修交勲章興仁章を受章。 【2005年(平成17年)】 日韓友情年日本側実行委員長を務める。 3月、パキスタン訪問。 パキスタン政府より「国際文明理解と調和の大使」および「タキシラ名誉市民」の称号を受ける。 4月、東京国立博物館特任館長に就任。 12月、東京藝術大学学長を退官。 【2006年(平成18年)】 3月、北京を訪問。 日中友好協会の会長として胡錦涛主席と会見。 |