- 松尾敏男
- Toshio Matuo
- 松尾敏男(まつお としお)
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春映牡丹/松尾敏男
雲海富士/松尾敏男
手長猿/松尾敏男
秋行/松尾敏男
朱牡丹/松尾敏男
塘秋/松尾敏男
略歴 | |
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【1926年(大正15年)】 3月9日、長崎市今籠町に生まれる。 【1929年(昭和4年)】 実家の石鹸会社が倒産し、新宿区大久保に転居。 【1943年(昭和18年)】 東京府立第六中学校卒業。 堅山南風に入門を許され、古典模写や運筆の勉強をする。 【1947年(昭和22年)】 第2回日本美術院小品展が「春容」が入選。 【1948年(昭和23年)】 中央郵便局で勤め始める。 作風に和やかな調和が加わり、花鳥画の世界に主題を拡げる。 【1949年(昭和24年)】 第34回院展で「埴輪」が初入選。 【1951年(昭和26年)】 日本美術院院友となる。 【1952年(昭和27年)】 中央郵便局を退職し絵に専念。 【1962年(昭和37年)】 第47回院展で「陶土に立つ」が奨励賞を受賞。 【1963年(昭和38年)】 第48回院展で「日蝕」が奨励賞を受賞。 【1964年(昭和39年)】 第49回院展で「野火」が奨励賞を受賞。 【1965年(昭和40年)】 師・堅山南風の助手として日光輪王寺の鳴竜の制作を手伝う。 第50回院展で「高原」が奨励賞を受賞。 【1966年(昭和41年)】 第51回院展で「廃船」が日本美術院賞・大観賞を受賞。 【1968年(昭和43年)】 第23回院展春季展で「火口湖」が春季展賞を受賞。 第53回院展で「鳥碑」が日本美術院賞・大観賞を受賞。 【1969年(昭和44年)】 第54回院展で「北限」が奨励賞を受賞。 【1970年(昭和45年)】 第55回院展で「樹海」が日本美術院賞・大観賞を受賞。 文化庁買上げとなる。 【1971年(昭和46年)】 第1回山種美術館賞展で「翔」が優秀賞を受賞。 芸術選奨文部新人賞を受賞。 日本美術院同人となる。 【1972年(昭和47年)】 「海峡」が芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。 【1975年(昭和50年)】 第60回院展で「燿」が文部大臣賞を受賞。 【1978年(昭和53年)】 第63回院展で「サルナート想」が文部大臣賞を受賞。 【1979年(昭和54年)】 「サルナート想」により日本芸術院賞と受賞を重ねる。 日本芸術院賞を受賞。 日本美術院評議員となる。 【1889年(昭和62年)】 多摩美術大学教授に就任。 【1994年(平成 6年)】 日本芸術院会員となる。 【2000年(平成12年)】 文化功労者となる。 |