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小磯良平
Ryohei Koiso
こいそ りょうへい

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    • D嬢の像/小磯良平


    • 踊り子/小磯良平


    • 婦人像/小磯良平


    • バレリーナ/小磯良平


    • 少女像/小磯良平


    • 娘たち-E/小磯良平
略歴  
【1903年 (明治36年)】年
7月25日、神戸市神戸(現・神戸市中央区)中山手通7丁目に旧三田藩の旧家で、岸上文吉・こまつの8人兄妹姉妹の次男として生まれる。

【1917年 (大正6年)】
4月、兵庫県立第二神戸中学校(現・兵庫高校)に入学。
同級の竹中郁と親交を結ぶ。

【1921年 (大正10年)】
「現代フランス名画家作品展覧会」に感銘する。
この頃、新井完にデッサンを学ぶ。

【1922年 (大正11年)】
4月、東京美術学校西洋学科に入学。

【1923年 (大正12年)】
藤島武二の教室に入る。

【1925年 (大正14年)】
帝国美術院第6回美術展覧会(帝展)に「兄妹」が初入選。
父・文吉死去。祖母の姪にあたる小磯家の養子となる。

【1926年 (大正15年)】
第7回帝展で「T嬢の像」が特選。

【1927年 (昭和 2年)】 3月、東京美術学校西洋画科を首席で卒業。
卒業制作は、竹中郁をモデルとした「彼の休息」と「自画像」。

【1928年 (昭和 3年)】 4月、フランスに留学。パリのグラン・ショミエールに通う。竹中とパリ滞在をともにする。
サロン・ドートンヌに入選。
西欧の各地を旅行。
ルーヴル美術館のヴェロネーゼ「カナの婚礼」に衝撃を受け、群像表現を極めることを生涯のテーマとする。

【1930年 (昭和 5年)】
帰国。

【1930年 (昭和 5年)】
帰国。

【1932年 (昭和 7年)】
初めての個展を神戸で開催。
第13回帝展で「裁縫女」が特選。
11月12日、萩原貞江と結婚。
山本通にアトリエを新築。

【1933年 (昭和 8年)】
日本組合神戸基督教会(現・日本基督教団神戸教会)で洗礼を受ける。
長女・嘉子が生まれる。

【1935年 (昭和10年)】
帝展改組に反対し、旧帝展無鑑査の有志と第二部会を結成。

【1936年 (昭和11年)】
第二部会の帝展復帰に反対し、「新制作派協会」(現在の新制作協会)の結成に加わる。創立会員となる。
次女・邦子が生まれる。

【1938年 (昭和13年)】
陸軍省嘱託の身分で従軍画家として中国に渡る。

【1940年 (昭和15年)】
第11回朝日文化賞を受賞。

【1942年 (昭和17年)】
第1回帝国芸術院賞を「娘子関を征く」が受賞。

【1943年 (昭和18年)】
東京美術学校非常勤講師となる。

【1945年 (昭和20年)】
6月5日、神戸空襲でアトリエを失う。

【1949年 (昭和24年)】
武庫郡住吉村字松本(現・神戸市東灘区住吉山手)に住居とアトリエを新築。

【1950年 (昭和25年)】
東京芸術大学油画科講師に就任。

【1953年 (昭和28年)】
東京芸術大学油画科教授に就任。

【1958年 (昭和33年)】
東京芸術大学美術学部に版画教室を学部長と設ける。

【1971年 (昭和46年)】
東京芸術大学を退官、名誉教授となる。

【1973年 (昭和48年)】
勲三等旭日中綬賞を受賞。

【1974年 (昭和49年)】
迎賓館赤坂離宮大広間の壁画、「絵画」「音楽」が完成。

【1979年 (昭和54年)】
文化功労賞を受賞。

【1982年 (昭和57年)】
日本芸術院会員となる。

【1983年 (昭和58年)】
文化勲章を受章。
妻・貞江が死去。
神戸市名誉市民の称号が贈られる。
1917年 (大正6年) 4月、兵庫県立第二神戸中学校(現・兵庫高校)に入学。
同級の竹中郁と親交を結ぶ。
1921年 (大正10年) 「現代フランス名画家作品展覧会」に感銘する。
この頃、新井完にデッサンを学ぶ。
1922年 (大正11年) 4月、東京美術学校西洋学科に入学。
1923年 (大正12年) 藤島武二の教室に入る。
1925年 (大正14年) 帝国美術院第6回美術展覧会(帝展)に「兄妹」が初入選。
父・文吉死去。祖母の姪にあたる小磯家の養子となる。
1926年 (大正15年) 第7回帝展で「T嬢の像」が特選。
1927年 (昭和 2年) 3月、東京美術学校西洋画科を首席で卒業。
卒業制作は、竹中郁をモデルとした「彼の休息」と「自画像」。
1928年 (昭和 3年) 4月、フランスに留学。パリのグラン・ショミエールに通う。竹中とパリ滞在をともにする。
サロン・ドートンヌに入選。
西欧の各地を旅行。
ルーヴル美術館のヴェロネーゼ「カナの婚礼」に衝撃を受け、群像表現を極めることを生涯のテーマとする。
1930年 (昭和 5年) 帰国。
1930年 (昭和 5年) 帰国。
1932年 (昭和 7年) 初めての個展を神戸で開催。
第13回帝展で「裁縫女」が特選。
11月12日、萩原貞江と結婚。
山本通にアトリエを新築。
1933年 (昭和 8年) 日本組合神戸基督教会(現・日本基督教団神戸教会)で洗礼を受ける。
長女・嘉子が生まれる。
1935年 (昭和10年) 帝展改組に反対し、旧帝展無鑑査の有志と第二部会を結成。
1936年 (昭和11年) 第二部会の帝展復帰に反対し、「新制作派協会」(現在の新制作協会)の結成に加わる。創立会員となる。
次女・邦子が生まれる。
1938年 (昭和13年) 陸軍省嘱託の身分で従軍画家として中国に渡る。
1940年 (昭和15年) 第11回朝日文化賞を受賞。
1942年 (昭和17年) 第1回帝国芸術院賞を「娘子関を征く」が受賞。
1943年 (昭和18年) 東京美術学校非常勤講師となる。
1945年 (昭和20年) 6月5日、神戸空襲でアトリエを失う。
1949年 (昭和24年) 武庫郡住吉村字松本(現・神戸市東灘区住吉山手)に住居とアトリエを新築。
1950年 (昭和25年) 東京芸術大学油画科講師に就任。
1953年 (昭和28年) 東京芸術大学油画科教授に就任。
1958年 (昭和33年) 東京芸術大学美術学部に版画教室を学部長と設ける。
1971年 (昭和46年) 東京芸術大学を退官、名誉教授となる。
1973年 (昭和48年) 勲三等旭日中綬賞を受賞。
1974年 (昭和49年) 迎賓館赤坂離宮大広間の壁画、「絵画」「音楽」が完成。
1979年 (昭和54年) 文化功労賞を受賞。
1982年 (昭和57年) 日本芸術院会員となる。
1983年 (昭和58年) 文化勲章を受章。
妻・貞江が死去。
神戸市名誉市民の称号が贈られる。

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