- 加山又造
- Matazou Kayama
- 加山又造(かやま またぞう)
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猫/加山又造
朧/加山又造
花/加山又造
レースの裸婦(2)/加山又造
濤と鶴・福/加山又造
華と猫/加山又造
略歴 | |
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【1927年(昭和2年)】 9月24日、京都市で西陣織の図案家の子として生まれる。祖父は画家・田辺玉田、父は衣装図案家・加山勝也。 【1944年(昭和19年)】 京都市立美術工芸学校日本画科を卒業。 【1949年(昭和24年)】 東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画科卒業後、山本丘人に師事。 【1950年(昭和25年)】 創造美術春季展で研究会賞を受賞。 【1951年(昭和26年)】 第1回新制作協会日本画部新作家賞を「原始時代」が受賞。 【1954年(昭和29年)】 長男・哲也(陶芸家)が生まれる。 【1955年(昭和30年)】 銀座・養清堂画廊にて初個展。 【1957年(昭和32年)】 第4回日本国際美術展で佳作。 【1958年(昭和33年)】 第2回グッゲンハイム賞国際美術展で「飛翔」が特別褒状。 【1959年(昭和34年)】 石本正、横山操とともに「轟会」を結成。 【1960年(昭和35年)】 横浜市鶴見区の自宅にアトリエをおく。 【1965年(昭和40年)】 この年より古画に倣った工芸手法の装飾風絵画の制作を開始。 【1966年(昭和41年)】 多摩美術大学日本画科教授に就任。 【1968年(昭和43年)】 日航ボーイングLR機の機内壁画「銀河の図」を完成。 【1972年(昭和47年)】 轟会第13回展にて初めて発表した裸婦図「波斯猫」が話題を呼ぶ。 【1973年(昭和48年)】 第5回日本芸術大賞を受賞。 多摩美術大学日本画科教授を辞任。 【1974年(昭和49年)】 創画会発足とともに会員となる。 「中央公論」表紙絵を制作(~1980)。 【1977年(昭和52年)】 再び、多摩美術大学日本画科教授に就任。 【1978年(昭和53年)】 多摩美術大学日本画科教授を辞任。 東京国立近代美術館から依頼された紙本壁画「雪・月・花」を完成。 【1980年(昭和55年)】 「月光波涛」が第30回芸術選奨文部大臣賞を受賞。 【1982年(昭和57年)】 第1回美術文化振興協会賞を受賞。 【1984年(昭和59年)】 身延山・久遠寺天井画「墨龍」と16面の襖絵を完成。 【1988年(昭和63年)】 東京芸術大学美術学部教授に就任。 【1989年(平成元年)】 国際花と緑の博覧会記念メダルの基礎デザイン制作。 【1990年(平成2年)】 北京の中央美術院より名誉教授の称号が贈られる。 【1992年(平成4年)】 新東京国際空港第2旅客ターミナル出発ロビー陶板壁画「日月四季」を完成。 【1994年(平成6年)】 第43回神奈川文化賞芸術の部門を受賞。 【1995年(平成7年)】 東京芸術大学美術学部教授を退官、名誉教授となる。 【1997年(平成9年)】 英国航空の新CI導入に際し、機体尾翼などのデザイン原画《濤と鶴》を制作。文化功労賞を受賞。 京都・天龍寺法堂の天井画「雲龍」が完成。 【1999年(平成11年)】 井上靖文化賞を受賞。 【2003年(平成15年)】 文化勲章を受賞。 【2004年(平成16年)】 4月6日、肺炎のため東京都内の病院で逝去。76歳。 |