- 大山忠作
- Chusaku Ooyama
- おおやま ちゅうさく
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松鯉/大山忠作
山百合/大山忠作
みちのく残照/大山忠作
旭日/大山忠作
翔鶴/大山忠作
朝日に匂ふ/大山忠作
略歴 | |
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【1922年(大正11年)】 5月5日、福島県二本松市での六人兄弟の次男に生まれる。家業は紺屋で父も趣味で日本画を描いていたという環境で、自然に画家を志すようになる。父・大山豊治、母・きく。本名・信太郎。 【1937年(昭和12年)】 小学校卒業後上京。 名教中学2年に編入。 【1940年(昭和15年)】 東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画科に入学。 【1943年(昭和18年)】 12月、東京美術学校日本画科を学徒出陣のため繰上げ卒業。 【1946年(昭和21年)】 2月、復員。 第2回日展で「O先生」が初入選。 【1947年(昭和22年)】 4月、一采社に加入、山口蓬春に師事。 【1952年(昭和27年)】 第8回日展で「池畔に立つ」が特選・白寿賞・朝倉賞を受賞。 【1955年(昭和30年)】 第11回日展で「海浜」が特選・白寿賞を受賞。 【1958年(昭和33年)】 10月1日、娘・さい子が生まれる。(女優の一色彩子) 【1960年(昭和35年)】 日展審査員となる。 【1962年(昭和37年)】 銀座・文芸春秋画廊で初の個展を開催。 【1967年(昭和42年)】 法隆寺金堂壁画再現模写に従事(~1968)。 【1968年(昭和43年)】 第11回新日展で「岡潔先生像」が文部大臣賞を受賞。 【1970年(昭和45年)】 日展評議員となる。 【1973年(昭和48年)】 「五百羅漢」が日本芸術院賞を受賞。 【1980年(昭和55年)】 成田山新勝寺光輪閣襖絵を制作。 【1986年(昭和61年)】 日本芸術院会員となる。 【1987年(昭和62年)】 二本松市名誉市民となる。 【1991年(平成3年)】 日展事務局長となる。 【1992年(平成4年)】 日展理事長となる(~1995)。 【1994年(平成6年)】 銀座和光ホールで初の書作展を開催。 【1996年(平成8年)】 勲三等瑞宝章を受章。 【1999年(平成11年)】 文化功労賞を受賞。 【2006年(平成18年)】 文化勲章を受章。 【2007年(平成19年)】 3月15日、新宿区の名誉区民となる。 |