- ドーム
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略歴 | |
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【1853年 (嘉永6年)】 フランス、ロレーヌ地方のビッチで、6人兄弟の長男として、兄・オーギュスト(Auguste DAUM)が生まれる。 父・ジャン・ドーム。 パリ大学で法律を学び、法学の学士号を取得。 【1864年 (元治元年)】 三男として、弟・アンドナン(Antonin DAUM)が生まれる。 【1872年 (明治5年)】 ドーム家はプロイセンの占領を避けて、フランス東部・ナンシーへ移住。 父・ジャン・ドームは、経営難だったガラス工場「ヴェルリ・ド・サント・カトリーヌ」を引き取り、時計用ガラスと食器などのガラス工場を経営者となる。 「ヴェルリ・ド・ナンシー」と社名を変更。 【1878年 (明治11年)】 兄・オーギュスト・ドームが、父の工場のガラス製造事業に参加。 経営を担当。 【1887年 (明治20年)】 弟・アンドナン・ドームは、パリ中央工芸学校(エコール・ソントラル)】を卒業。 技師の資格を取得。 父の工場のガラス製造事業に参加。 技術部門とデザイン部門を担当。 【1889年 (明治22年)】 パリ万国博覧会でのガレの成功に刺激を受ける。 【1891年 (明治24年)】 「ナンシー・ガラス研究所」を設立。 工場で、芸術性の高いガラス作品の製作を開始。 アンリ・ベルジェやルイ・マジョレールらを招き、彼らとの共同製作によって完成度の高いガラス作品をこの世に送りだす。 【1894年 (明治27年)】 ナンシー及びリヨンの博覧会で金賞を受賞。 【1897年 (明治30年)】 ブリュッセルの万国博覧会で金賞を受賞。 兄・オーギュスト・ドームが、レジオン・ドヌール勲章を授与。 【1899年 (明治32年)】 「アンテルカレール技法」(ガラス素地に絵模様を描いて、さらにガラスをかぶせる技術で模様に奥行きが出る)で特許を取得。 【1900年 (明治33年)】 パリ万国博覧会で、ガラス部門でガレと並んでグランプリを獲得。 弟・アントナン・ドームが、レジオン・ドヌール勲章を授与。 アール・ヌーヴォーを代表する工房の一つとなる。 【1901年 (明治34年)】 ナンシー在住の画家、彫刻家、デザイナーにより「エコール・ド・ナンシー(ナンシー派)」を設立。 アントナン・ドームは、副会長に就任。 【1906年 (明治39年)】 アマルリック・ワルターを招いてパート・ド・ヴェール部門を立ち上げ、従来の吹きガラスとは異なる新しい作品を製造ラインに加える。 【1909年 (明治42年)】 兄・オーギュスト・ドームが逝去。56歳。 【1910年 (明治43年)】 この頃、色ガラスの粉をまぶしつける技法「ヴィトリフィカシオン」を多用して、色彩が複雑に混ざり合う重厚な色調の作品を製造。 【1914年 (大正3年)】 第一次世界大戦中で、製造を中止。 【1919年 (大正8年)】 製造を再開。 【1920年 (大正9年)】 オーギュスト・ドームの息子・ジャン・ドームとポール・ドームによって、アールデコ様式の作品を手掛ける。 【1930年 (昭和5年)】 弟・アントナン・ドームが逝去。66歳。 【1935年頃 (昭和10年)】 フランスの豪華客船「ノルマンディ号」のクリスタルガラスのテーブルウェアを製作。 以降も、クリスタルガラスのオブジェの制作や、1960年代にサルバドール・ダリのデザインによるパート・ド・ヴェール(古代メソポタピアの技法)の作品を発表するなど時代の流行に即した作品を発表し続けている。 |