絵画
- 東郷青児
- Seiji Togo
- とうごう せいじ
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望郷/東郷青児
モロッコの娘/東郷青児
赤い花Ⅰ/東郷青児
花炎/東郷青児
干拓地/東郷青児
超現実派の散歩/東郷青児
略歴 | |
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【1897年 (明治30年)】 4月28日、鹿児島県鹿児島市で生まれる。 本名は鉄春。 【1902年 (明治35年)】 一家で東京に転居。 【1914年 (大正3年)】 青山学院中等部を卒業。 竹久夢二が日本橋開いた自分の絵草子を売る「港屋」に頻繁に出入りする。 【1915年 (大正4年)】 山田耕作の東京フィルハーモニー赤坂研究所の一室で制作。 日比谷美術館で初個展を開催。 この頃有島生馬を知り、以後師事。 【1916年 (大正5年)】 第3回二科展に初出品し、「パラソルさせる女」が二科賞を受賞。 【1920年 (大正9年)】 9月、永野明代と結婚。 【1921年 (大正10年)】 11月、長男・志馬が生まれる。 フランスに留学。 トリノに未来派のマリネッティを訪ね、未来派運動に参加するが、絵画不在の理論に失望。 【1922年 (大正11年)】 リヨン美術学校に学ぶ。 【1928年 (昭和3年)】 帰国。 第15回二科展に滞欧作23点特陳。 第1回昭和洋画奨励賞を受賞。 【1929年 (昭和4年)】 3月、西崎みつ子と心中未遂。 宇野千代と同棲を始める。 【1930年 (昭和5年) 】 ジャン・コクトーの「怖るべき子供たち」を翻訳。白水社より刊行。 【1931年 (昭和6年)】 二科会会員となる。 【1933年 (昭和8年)】 明代と協議離婚。 【1934年 (昭和9年)】 宇野千代との同棲解消。 5月、西崎みつ子と結婚。 【1938年 (昭和13年)】 二科会に「九室会」が結成され、藤田嗣治と顧問になる。 【1939年 (昭和14年)】 4月、長女・たまみが生まれる。 【1945年 (昭和20年)】 終戦後の二科会再建に尽力。 【1948年 (昭和23年)】 東京歌舞伎座の緞帳「女の四季」を手掛ける。 【1957年 (昭和32年)】 岡本太郎とともに日活映画「誘惑」に特別出演(西郷赤児役)。 第13回日本芸術院賞を熊本太洋デパートの壁画「創生の歌」が受賞。 第4回日本国際美術展で「バレリーナ」が大衆賞を受賞。 【1960年 (昭和35年)】 日本芸術院会員となる。 【1961年 (昭和36年)】 二科会会長に就任。 【1962年 (昭和37年)】 サロン・ドートンヌ名誉会員となる。 【1965年 (昭和40年)】 仁科会功労賞を受賞。 【1969年 (昭和44年)】 フランス政府よりオフィシェ・ドルドル・デ・ザール・エ・レットル(文芸勲章)を授与。 【1970年 (昭和45年)】 勲三等旭日中綬賞を授与。 【1974年 (昭和49年)】 アルジェリアのタッシリを探訪。 ドッグ族のテント生活を体験。 【1976年 (昭和51年)】 西新宿に東郷青児美術館(現・損保ジャパン東郷青児美術館)が開設。 勲二等旭日重光章を授与。 【1978年 (昭和53年)】 4月25日、第62回二科展(熊本県立美術館)出席のため訪れていた熊本市にて、急性心不全のため逝去。80歳。 文化功労者、正四位追贈。 |