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絵画

佐伯祐三
Yukizou Saeki
さえき ゆうぞう

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    • 郵便配達夫/佐伯祐三


    • テラスの広告/佐伯祐三


    • ラ・クロッシュ/佐伯祐三


    • 靴職人/佐伯祐三


    • リュクサンブールの木立/佐伯祐三


    • 広告(ヴェルダン)/佐伯祐三
略歴  
【1898年(明治31年)】
4月28日、大阪府西成郡中津村大字光立寺六番屋敷(現・大阪市北区中津)の光徳寺に四男三女の次男として生まれる。父は十三代目の住職で祐哲、母・はタキ。幼名は秀丸。兄・祐正。

【1911年(明治44年)】
3月、中津尋常高等小学校尋常科を卒業。中学受験に失敗して高等科へ進学。

【1912年(明治45年)】
大阪府立北野中学校(現・府立北野高等学校)に入学。同級生に後に兵庫県知事を務める阪本勝がいた。

【1915年(大正4年)】
北野中学校4年生の頃から油絵を描き始め、大阪府梅田にあった赤松麟作が指導する画塾に通う。

【1917年(大正6年)】
3月、北野中学校を卒業。
9月、上京して川端画学学校洋画部に入り、藤島武二の指導を受ける。ここで生涯親交の続いた山田新一を知る。

【1918年(大正7年)】
4月、東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科予備科に入学。
9月、本科一年に進級。

【1919年(大正8年)】
池田米子(銀座象牙商の娘)と知り合う。紀州勝浦へ写生旅行。

【1920年(大正9年)】
9月、父・祐哲が死去(58歳)。父は死を前にして、当時祐三と恋愛関係にあった画家の池田米子との結婚を許した。

【11月、東京・築地本願寺で米子と挙式(結婚届は大正11年1月26日)。東京府下落合にアトリエを新築して住む。

【1921年(大正10年)】
3月、弟・祐明が肺結核の為死去(20歳)。佐伯もこの頃から喀血していたとも言われる。病気のため、美術学校を3ヶ月休学。

【1922年(大正11年)】
2月21日、長女・弥智子が生まれる。

【1923年(大正12年)】
3月、東京美術学校西洋画科を卒業。
5月、同級生7人と薔薇門社を結成し、第一回展を開く。
11月下旬、米子、弥智子を伴い神戸港より渡欧。

【1924年(昭和13年)】
1月上旬、パリに到着。
3月、郊外のクラマールに住み、アカデミー・ド・ラ・グランド・ショーミエールの自由科に通う。
夏、オーヴェール・シュル・オワーズにヴラマンクを訪ねるが、渡仏後に描いた「裸婦」を見せたところ、「このアカデミック!」という怒号を受ける。そのこととユトリロの作品に影響を受け画風は大きく変貌することとなる。秋、オーヴェール、ヴァルモンドワ、ネル・ラ・ヴァレなどを写生旅行。

【1925年(大正14年)】
7月、ロンドンのセツルメントを視察する目的で兄祐正がパリに立ち寄り、母からの要請で帰国を促す。
10月、第18回サロン・ドートンヌで「靴屋(コルドヌリ)」、「煉瓦屋」が入選。米子も入選。
11月、体調を崩し病床に就く。

【1926年(大正15年)】
1月、兄とイタリアを旅行。
3月、帰国。下落合にアトリエに戻る。
5月、里見勝蔵ら5人で「1930年協会」を結成し、第1回展を開く。
9月、第13回二科会展で「レ・ジュ・ド・ノエル」が二科賞を受賞。米子も入選。12月、兄・祐正、小久保千代子と結婚。

【1927年(昭和2年)】
4月、東京新宿の紀伊国屋書店で個展を開催。
8月、シベリア経由で渡欧。
9月上旬、パリ到着。10月、ブールヴァール・デュ・モンパルナス162番の新築のアトリエに落ち着く。

【11月、第20回サロン・ドートンヌ25年記念展(審査委員長キスリング)で「新聞屋」と「広告のある家」が入選。前後して、ポール・ロワイヤル周辺での「カフェ・レストラン」の連作が始まる。

【1928年(昭和3年)】
2月、荻須高徳らとヴィリエ・シュル・モランとサン・ジェルマン・シュル・モランに写生旅行し、二十数日間滞在。再び造形への疑問が高まる。
3月、小雨の中での写生がもとで風邪を悪化させ、病床に伏す。「郵便配達夫」「ロシアの少女」を制作後、喀血。
6月、肺結核の進行に神経衰弱も加わり、自殺騒ぎを起こす。
6月23日、郊外のヌイイ・シュル・マルヌにあるセーヌ県立エヴラール精神病院に入院。弥智子も結核が感染して悪化する。
8月16日午前11時30分、同病院で逝去。30歳。ベール・ラシェーズに埋葬。
8月30日、弥智子も死去(6歳)。
10月、米子は二人の遺骨を持って帰国。
11月、光徳寺で本葬、祐三の戒名は「巌精院釈祐三」、彌智子は「明星院釈尼祐智」。

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