絵画
- 福田平八郎
- Heihatirou Fukuda
- ふくだ へいはちろう
ご売却に関しての詳しい情報は買取方法についてをご覧ください。
清雲寺の枝垂桜/中島千波
玉龍牡丹/中島千波
つる薔薇/中島千波
夜桜爛漫/中島千波
薔薇/中島千波
雛芥子/中島千波
略歴 | |
---|---|
【1892年(明治25年)】 2月28日、大分市の文房具店の長男として生まれる。父・馬太郎、母・アン。 号は始めは、素僊(そせん)。印の「馬安」は父母にちなむ。 【1898年(明治31年)】 大分県師範学校付属小学校に入学。 【1910年(明治43年)】 県立中学校に上がるも、数学が苦手でついに中学校3年の進級に失敗、上洛。 京都市立絵画専門学校別科に入学。 【1911年(明治44年)】 京都市立美術工芸学校に入学。栖鳳、翠嶂、契月から指導。 【1915年(大正4年)】 京都市立美術工芸学校を卒業。卒業制作は同校の買い上げとなる。 京都市立絵画専門学校本科(現・京都市立芸術大学)に入学。 【1918年(大正7年)】 京都市立絵画専門学校本科を卒業。 この年から平八郎(本名)を雅号とする。 【1919年(大正8年)】 第1回帝展で「雪」が入選。 【1921年(大正10年)】 第3回帝展で「鯉」が特選となり、宮内省(現・宮内庁)が買上げ。 【1922年(大正11年)】 九名会に参加。 谷口テイと結婚。 【1924年(大正13年)】 帝展の審査員となる。 京都市立絵画専門学校の助教授に就任。 京都下鴨芝本町に転居。 支那に旅行。 【1928年(昭和3年)】 中村岳陵、山口蓬春らと六潮会に参加。 【1930年(昭和5年)】 昭和天皇と一緒に魚釣りに行ったときの、池面に映る水面の模様を描写した作品、「漣」(さざなみ)を第13回帝展で発表。 【1932年(昭和7年)】 京都市立絵画専門学校の教授に就任。 【1936年(昭和11年)】 京都市立絵画専門学校の教授を病気で辞任。 【1937年(昭和12年)】 日展開催に力を尽くし、運営委員に推される。 【1945年(昭和20年)】 帝展芸術院会員となる。 【1947年(昭和22年)】 日展理事となる。 第1回毎日美術賞を受賞。 【1949年(昭和24年)】 文化勲章を受章。 文化功労者となる。 大分県名誉市民となる。 【1961年(昭和36年)】 皇居新宮殿竹の間に「竹」を描く。 日展顧問となる。 【1968年(昭和43年)】 京都市名誉市民となる。 【1969年(昭和44年)】 3月22日、京都にて逝去。82歳。 |