絵画
- 杉山寧
- Yasushi Sugiyama
- すぎやま やすし
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薫/杉山寧
*キン*「山」+「欽」/杉山寧
水/杉山寧
麗/杉山寧
守/杉山寧
英/杉山寧
略歴 | |
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【1909年(明治42年)】 10月20日、東京都浅草区で文房具店を営む家の長男として生まれる。父が早く亡くなったため、母親に育てられる。父・杉山卯吉、母・みち。 【1929年(昭和3年)】 東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学。 【1931年(昭和6年)】 第12回帝展で「水辺」が初入選。 【1932年(昭和7年)】 第13回帝展で「磯」が特選。 【1933年(昭和8年)】 東京美術学校日本画科を卒業。 松岡映丘に師事。卒業制作「野」は首席となる。 【1934年(昭和9年)】 映丘門下の有志と研究会「瑠爽画社」を結成。 第15回帝展で「海女」が特選。 【1937年(昭和12年)】 2月13日、長女・瑤子が生まれる。 【1938年(昭和13年)】 「瑠爽画社」を解散。 肺結核を患う。 【1951年(昭和26年)】 戦後初めての大作「エウロペ」を第7回日展に発表。 【1956年(昭和31年)】 雑誌「文藝春秋」4月号から、安井曾太郎のあとを引き継いで同誌の表紙絵原画を制作。(~1986年) 【1957年(昭和32年)】 第12回日展で「孔雀」が第13回日本芸術院賞を受賞。 【1958年(昭和33年)】 長女・瑤子が三島由紀夫と見合い結婚(媒酌人は川端康成)。 【1960年(昭和35年)】 東宮御所のために果物を描いた「静物」を制作。 宮内庁の依頼で「奏」を制作(現在皇后新宮殿「連翠」の間に掲げられる)。 【1967年(昭和42年)】 皇居新宮殿のために手織り緞通の原画を制作。 【1969年(昭和44年)】 日展の理事となる。 【1970年(昭和45年)】 日本芸術院会員に就任。 【1971年(昭和46年)】 日展の常務理事となる。 【1974年(昭和45年)】 文化勲章を受賞。 文化功労者となる。 【1976年(昭和47年)】 日展顧問に就任。 【1982年(昭和53年)】 日本芸術院第一部長に就任。 【1991年(平成3年)】 東京都名誉都民となる。 【1993年(平成5年)】 10月20日、84歳の誕生日の朝に東京都文京区にて逝去。84歳。 従三位に叙せられる。 台東区名誉区民となる。 |