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絵画

橋本関雪
Kansetsu Hashimoto
はしもと かんせつ

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    • 玄猿/橋下関雪


    • 夏夕/橋下関雪


    • 月下帰帆図/橋下関雪


    • 遅日/橋下関雪


    • 秋圃/橋下関雪


    • 雨後新月/橋下関雪
略歴  
【1883年(明治16年)】
11月10日、神戸・坂本村(現・神戸市中央区楠町)に長男として生まれる。父は明石藩の漢学者の橋本海関。母・フジ。妹・チエ。
本名は貫一(幼名は成常、諱は弘、関雪は画号)。
母・フジはまもなく橋本家を出奔し島根の寺院に入る。

【1890年(明治23年)】
神戸市湊川尋常高等小学校に入学。
傍ら父より家学(漢詩・書画など)を受ける。

【1895年(明治28年)】
神戸市湊川尋常高等小学校を中退。
4月、市外平野村に住む四条派の画家片岡に入門。
京都で開催された第4回内国勧業博覧会で席上揮豪。

【1898年(明治31年)】
5月、絵画修行を志して上京。

【1899年(明治32年)】
神戸に帰る。
父海関は経済上の理由により兵庫県尾上村に隠棲し、関雪は自活を余儀なくされる。

【1900年(明治33年)】
4月、神戸美術協会主催で東宮御慶事記念展覧会が催され、「王昭君」を出品し、御前揮毫を仰せつかる。

【1903年(明治36年)】
冬、京都にでて、光村利藻の紹介により、竹内栖鳳の「竹杖会」に入門。
岩見ヨネと出会う。

【1904年(明治37年)】
2月、岩見ヨネと結婚。

【1905年(明治38年)】
東京美術研精会主催展覧会で「四面楚歌の声」が研精賞を受賞。
満州軍総司令部嘱託として、日露戦争に従軍する。

【1906年(明治39年)】
神戸在住の若手画家達を集め、神戸絵画研精会を興し、その機関紙『白毫』を編集発行。

【1908年(明治41年)】
10月、第2回文展で「鉄嶺城外の宿雪」が入選。

【1909年(明治42年)】
10月、第3回文展に「失意」を出品し、褒状を受ける。

【1910年(明治43年)】
10月、第4回文展に「琵琶行」を出品し、褒状を受ける。
漢詩集「関雪詩稿」を出版。
この頃、生活は困窮を極める。

【1911年(明治44年)】
10月、第5回文展に「異見王達磨を送る」を出品し、褒状を受ける。

【1912年(大正元年)】
10月、第6回文展一科に「松下煎茗」を、二科に「五醍醐帝」を出品し、共に褒状を受ける。

【1913年(大正2年)】
5月、初めて中国を訪問。
6月末、帰国。その後も生涯にわたって30回以上訪中する。
9月、京都に移り岡崎徳成橋畔に住む。
10月、第7回文展二科で「遅日」が二等賞を受賞。

【1914年(大正3年)】
6月、大正博覧会で「桃源郷」が銀賞を受賞。
10月、第8回文展で「南国」が二等賞を受賞。

【1915年(大正4年)】
10月、第9回文展で「猟」が二等賞を受賞。
南禅寺山内金地院に転居。

【1916年(大正5年)】
10月、第10回文展で「寒山拾得」が特選。
京都市左京区浄土寺石橋町に白沙村荘が完成し転居。

【1917年(大正6年)】
10月、第11回文展で「傀雲林」が特選。

【1918年(大正7年)】
10月、第12回文展で「木蘭」が特選。

【1919年(大正8年)】
10月、第1回帝展の審査委員となる。
関雪の門下生によって「新篁会」が組織される。

【1921年(大正10年)】
5月5日、長男・節或を伴って、神戸から北野丸でヨーロッパ旅行に出発。
12月、帰国。

【1922年(大正11年)】
4月、平和記念東京博覧会の日本画の審査委員となる。
銀閣寺畔第二疏水に桜の若木を植える。俗に関雪桜と呼ばれる。

【1923年(大正12年)】
11月、日本美術展の審査委員となる。
竹内栖鳳の「竹杖会」を脱会。

【1925年(大正14年)】
関雪画塾「新篁会」が解散。

【1926年(昭和元年)】
3月、石井林響、小杉未醒ら8人の日中画家が古画の研究と鑑賞を目的として「解衣社」を結成。
11月、西村五雲、西山翠嶂ら6人で「六合会」を創立。

【1927年(昭和2年)】
4月、妻と娘を伴って2度目のヨーロッパ旅行に出発。
長男と次男は先にフランスにおり、ヨーロッパ数カ国を巡る。
この頃から、ギリシャなどの外国美術コレクションを始める。

【1928年(昭和3年)】
1月、帰国。
6月、パリ日本美術展に出品した「浦湘」がフランス政府買い上げとなる。

【1929年(昭和4年)】
5月28日、紀州矢の子峠にて自動車事故により負傷。

【1930年(昭和5年)】
3月、夫人同伴で中国に旅行し、西湖、鎮江を経て天台山に登る。
11月、トレド-市、ニューヨーク市日本美術展に「木蘭詩巻」を出品し、その後、ボストン美術館へ寄贈。

【1931年(昭和6年)】
12月19日、シュバリエ・ド・レジオン・ドヌール勲章を授与される。

【1932年(昭和7年)】
3月、満州国皇帝に「老松鷲の図」を献上。
4月14日、妻・ヨネが東京にて死去。

【1933年(昭和8年)】
4月、鄭考胥満州国総理が白沙村荘に、関雪の父・海関を訪ねる。「細雨春帆」を贈る。
10月、第14回帝展に「玄猿」を無鑑査出品、文部省買い上げとなる。

【1934年(昭和9年)】
6月27日、近代美術館建設期成会の発起人に参加。
10月、第15回帝展に「暮韻」を出品、宮内省買い上げとなる。
12月3日、帝室技芸員になる。

【1935年(昭和10年)】
6月、帝国美術院会員になる。これを機に有志より「新篁会」が再興される。
11月12日、父・海関が死去。

【1936年(昭和11年)】
5月、古川北華を中心に、関雪、津田青楓ら6人で「興遊会」を結成。
6月12日、横山大観、川合玉堂ら、14人の会員とともに帝国美術院に辞表を提出。

【1937年(昭和12年)】
3月、盲腸炎を患う。
6月23日、帝国芸術院が成立し、会員となる。

【1940年(昭和15年)】
12月7・8日、かねて製作中の京都建仁寺方丈の襖絵60面が完成し、建仁寺で披露される。

【1944年(昭和19年)】
7月、平安遷1150年奉祝京都市美術展の審査委員となる。

【1945年(昭和20年)】
2月26日、狭心症の発作により逝去。61歳。

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