西洋美術(アンティーク)
- R.ラリック
- Rene Lalique
- ルネ・ラリック
ご売却に関しての詳しい情報は買取方法についてをご覧ください。
ルネ・ラリック
ルネ・ラリック
ルネ・ラリック
ルネ・ラリック
ルネ・ラリック
ルネ・ラリック
ルネ・ラリック
ルネ・ラリック
略歴 | |
---|---|
【1860年 (万延元年)】 4月6日 、フランス・シャンパーニュ地方マルヌ県アイ村で商家の家に生まれる。 パリで育つ。 【1876年 (明治9年)】 父が死去。 パリの装飾美術学校に入学。 宝飾工芸家で金属細工師のルイ・オーコックに師事。 【1885年 (明治18年)】 この頃のラリックは、おもに女性向けの高級アクセサリーをデザイン。 カルティエなどの著名な宝飾店にも作品を提供。 【1886年 (明治19年)】 ジュール・デスタップから宝飾店と工房を引継ぎより工房を買い取り、宝飾デザイナー・宝飾商として独立。 マリー・ルイーズ・ランベールと結婚。 娘・ジョルジョットが生まれる。 【1890年 (明治23年)】 オペラ座の近くテレーズ通り20番地に工房を開く。 工房の協力者である彫刻家・オーギュスト・ルドリュの娘アリス・ルドリュと出会う。 【1893年 (明治26年)】 パリ装飾美術中央連合主催の宝飾コンクールで2等賞を受賞。 【1894年 (明治27年)】 女優・サラ・ベルナールと知り合い、舞台ジュエリーを製作。 【1897年 (明治30年)】 レジオン・ド=ヌール勲章を受章。 ハット・ピン「ケシ」がサロンで国家買上げ。 ブリュッセル万国博覧会で最優秀賞を受賞。 【1900年 (明治33年)】 アリスとの間に息子・マルク生まれる。 パリ万国博覧会で、昆虫や裸婦をモチーフとした官能的な宝飾作品が大きな注目を集め名声を得る。 レジヨン・ドヌール四等勲章をを受章。 【1902年 (明治35年)】 オーギュスティーヌ・アリス・ルドリュと結婚。 パリ郊外のクールラレーヌ(クレールフォンテーヌ)40番地に住宅・工房・展示サロンを兼ねた家を建築(建築家M.フェーヌ設計)。 4人のガラス職人を雇い、シール・ペルジュ(蝋型成型法)によるガラス作品を制作開始。 【1903年 (明治36年)】 ロンドン・グラフトンギャラリーで初の個展を開催。 【1905年 (明治38年)】 パリ・ヴァンドーム広場24番地に店舗を開店。 パリに「ラリック社」を設立。 【1908年 (明治41年)】 香水王・フランソワ・コティの依頼を受けて香水瓶のデザインに着手し、繊細な美しい香水瓶の量産に成功。 パリ東方のコム・ラ・ヴィルにあったガラス工場を借り、本格的にガラス工芸品の生産を開始。 【1909年 (明治42年)】 妻・アリスが死去。 【1910年 (明治43年)】 娘・ジョルジョットが死去。 【1911年 (明治44年)】 ヴァンドーム広場の店舗でガラス作品だけの初の展覧会を開催。 【1913年 (大正2年)】 コンブ・ラ・ヴィルのガラス工場を購入。 注文の増えていた香水瓶を含め、「型吹き成型(圧搾空気法)」と「プレス成型」を用い、ガラス製品の量産化に乗り出す。 【1914年 (大正3年)】 第一次世界大戦のあいだは病院や製薬会社のために医療ガラス器具を生産。 【1922年 (大正11年)】 アルザス地方のヴァンジャン・シュル・モデールに新たな工場が完成。 これが、21世紀の今日まで続くラリック社の起源となる。 大西洋横断豪華客船「パリ号」の室内装飾に参加。 【1925年 (大正14年)】 パリにおける現代装飾美術・工業美術国際博覧会(通称アール・デコ博)で、ラリックのために一つのパビリオンが与えられる。また、ガラス部門の統括責任者を務め、会場のモニュメントとなる高さ15mのガラスの噴水「フランスの水源」を制作。 時流に沿って幾何学的構成の文様や器形を採用するようになり、アール・デコ様式の流行の一翼を担ったとされる。 【1927年 (昭和2年)】 豪華客船「イル・ド・フランス」号の一等船客食堂の内装を手掛ける。 【1929年 (昭和4年)】 ルネ・プールとの協力で、オリエント急行「コート・ダ・ジュール・プルマン・エクスプレス」の一等客車及び食堂車の内装を手掛ける。 【1931年 (昭和6年)】 パリ植民地博覧会の大ホールに巨大噴水を製作。 ラ・デリヴランド聖母教会(カルヴァトス県)のステンドグラス、祭壇、聖体拝領台を制作。 【1932年 (昭和7年)】 写真入りの「ルネ・ラリック社ガラス製品カタログ」を発行。 旧皇族朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)の入口・ガラスの扉やシャンデリアなどの製作を製作。 ジャージー島サンテリエの聖マタイ教会のステンドグラス・内装・扉を製作。 【1935年 (昭和10年)】 大西洋横断豪華客船「ノルマンディー」号の一等船客用食堂の装飾・照明・天井灯などを製作。 パリのコンコルド広場に近いロワイヤル通りに新店舗を開店。 【1938年 (昭和13年)】 英国国王の公式訪問に際して、パリ市はラリックの食器セットを正式な贈答品として贈る。 【1939年 (昭和14年)】 第二次世界大戦勃発に伴い、二つの工場の操業を中止。 4月28日、アルザスの工場がドイツ軍に接収。 【1945年 (昭和20年)】 ドイツ軍によって接収されていた、ヴィンゲン・シュール・モデールの工場が連合軍により解放。 ルネ・ラリックのガラス工芸のすべてを語る多数のガラス作品を、パリのアール・エ・メチエ博物館に寄贈。 5月5日、逝去。85歳。 【2005年 (平成17年)】 3月、箱根・仙石原に「箱根ラリック美術館」が開館。 ルネ・ラリックは、アールデコ期を代表するフランスのガラス作家。 オパールセントガラスの技法を用い、裸婦などの優れた造形の作品を制作。 現在もラリック社がそのデザインや技法を受け継いでいる。 |