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近代陶芸

北大路魯山人
Rosanjin Kitaooji
きたおおじ ろさんじん

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略歴  
【1883年(明治16年)】
3月23日、京都府京都市上賀茂(現・京都市北区)の京都上賀茂神社の社家の次男として生まれる。
父・北大路清操、母・登女(とめ)。
兄・清晃。
本名は房次郎。
誕生前(11月21日)に、父が死去。
生後すぐに養子に出され、養家を転々とする。

【1889年(明治22年)】
竹屋町の木版師・福田武造・フサの養子となる。
上京区丸太町の梅屋尋常小学校に入学。

【1896年(明治29年)】
一字書きに応募して入選。
養家に戻り、木版業を手伝う。

【1898年(明治31年)】
この頃から書、版下に才能を見せる。

【1903年(明治36年)】
書家になることを志して生母・登女がいる東京に上京。

【1904年(明治37年)】
11月、第36回日本美術展覧会で隷書「千字文」が一等賞を受賞。
宮内大臣子爵田中光顕が買上げ。

【1905年(明治38年)】
岡本太郎の祖父・書家・岡本可亭の内弟子となる。
日本美術展覧会に楷書が「福田可逸」の名で入賞。

【1907年(明治40年)】
可亭方を辞し、中橋和泉町に転居。
書道教授として独立。
「福田鴨亭」を号す。
看板、版下書き、書道教授をもって生計を立てる。

【1908年(明治41年)】
安見タミと結婚。
長男・桜一が生まれる。
藤井アイとの不倫できまずくなり妻子に告げず生母・登女と朝鮮へ渡行。

【1909年(明治42年)】
韓国統監府(後の朝鮮総督府)印刷局に勤務。
中国・朝鮮の陶器と書、篆刻を学ぶ。

【1910年(明治43年)】
朝鮮総督府の設置に伴い、書記として勤務。
夏、帰国。
滋賀県長浜の紙問屋・河路豊吉に招かれ、柴田源七の食客として、書や篆刻の制作に打ち込む環境を提供される。
魯山人は「福田大観」の号で小蘭亭の天井画や襖絵、篆刻など数々の傑作を制作。

【1915年(大正4年)】 福田家の家督を長男・桜一に譲り、自身は北大路姓に復帰。
タミと離婚。

【11月、金沢の文人・細野燕台の世話となり、石川県山代温泉(九谷)の須田菁華窯にて染付・赤絵を試みる。

【1916年(大正5年)】
「北大路 魯卿(ろけい)」と名乗る。

【1917年(大正6年)】
中村竹四郎と知り合う。
鎌倉に転居。
藤井セツ(アイの妹)と再婚。

【1919年(大正8年)】
中村竹四郎と共同で、東京・京橋に骨董店「大雅堂芸術店」を開業。鎌倉に転居。

【1921年(大正10年)】
大雅堂2階で「会員制美食倶楽部」を発足。
自ら厨房に立ち、店の古陶磁に手造りの料理を盛って出したところ評判を呼ぶ。

【1922年(大正11年)】
正式に北大路家の家督を相続し、「北大路魯山人」と名乗る。

【1924年(大正13年)】
京都・宮永東山の指導で、青磁などを制作。
荒川豊蔵とも東山窯にて知り合う。
「美食倶楽部経営星岡茶寮再考主意書」を各方面に発送。

【1925年(大正14年)】
3月20日、東京永田町・日枝神社境内に会員制料亭「星岡茶寮」を開始。
顧問兼料理長として料理・食器の演出に携わる。
同茶寮にて「北大路呂山人習作第1回展」を開催。

【1927年(昭和2年)】
セツと離婚。
荒川豊蔵を窯場主任として、北鎌倉の窯に招く。
鎌倉・山崎に、「魯山人窯芸研究所星岡窯」を発足。
「坐辺師友」をモットーに織部、志野、黄瀬戸等の美濃焼系を始め、乾山、仁清、道八等の京焼系の物にまで造形の理想を求めた幅広い作陶を展開。
中島きよと結婚。

【1936年(昭和11年)】
星岡茶寮の内紛により魯山人追放。
作陶に専念。
9月、荒川豊蔵、山崎の魯山人窯に滞留。

【1938年(昭和13年)】
きよと離婚。
熊田ムメと結婚。
6月、「雅美生活」が創刊。

【1942年(昭和17年)】
日月椀ほか漆絵の銘々盆、椀などの漆器制作に励む。
中道那瑕能と離婚。

【1945年(昭和20年)】
東京・大阪両星岡茶寮とも空襲により焼亡。

【1946年(昭和21年)】
東京・銀座5丁目に自作店「火土火土美房」を開業。
窯場を「魯山人雅陶研究所」と改称。

【1954年(昭和29年)】
米欧旅行。
ピカソ、シャガールを訪問。

【1959年(昭和34年)】
12月21日、肝吸虫、つまりいわゆる肝臓ジストマとも呼ばれた寄生虫による肝硬変のため逝去。76歳。

【1965年(昭和40年)】
茨城県笠間市に北鎌倉の北大路魯山人のアトリエを移築、「春風萬里荘」として設立。
2002年(平成14年)】
10月5日、山代温泉街にある魯山人寓居跡「いろは草庵」を公開。

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