絵画
- 小倉遊亀
- Yiki Ogura
- おぐら ゆき
ご売却に関しての詳しい情報は買取方法についてをご覧ください。
瓶花/小倉遊亀
咲きこぼれる/小倉遊亀
アネモネ/小倉遊亀
姉妹/小倉遊亀
浴女/小倉遊亀
佳器/小倉遊亀
略歴 | |
---|---|
【1895年(明治28年)】 3月1日、滋賀県大津市丸屋町で、長女として生まれる(遊亀は本名)。父・溝上巳之助、母・朝枝。 【1913年(大正2年)】 県立大津高等女学校卒業。 奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)国語漢文部に入学。 選択科目として図画を履修。水木要太郎と横山常太郎に多くを学ぶ。 【1917年(大正6年)】 奈良女子高等師範学校を総代で卒業。 京都で小学校の教職に就く。 【1919年(大正8年)】 名古屋市椙山高等女学校(現・椙山女学園)の教諭となる。 【1920年(大正9年)】 横浜の捜眞女子校の講師となる。 安田靫彦に入門を許される。 【1922年(大正11年)】 日本美術院試作展で入選。 【1926年(大正15年)】 小堀鞆音の革丙会革新第1回展で入選。 第13回院展で「胡瓜」が初入選。 【1928年(昭和3年)】 第15回院展で入選。 日本美術院院友となる。 【1932年(昭和7年)】 日本美術院の女性初の同人となる。 【1936年(昭和11年)】 教職を辞し、画業に専念。 【1938年(昭和13年)】 小倉鉄樹と結婚。鉄樹は山岡鉄舟の最後の高弟、臨済禅徒。 鎌倉に転居。 【1944年(昭和19年)】 小倉鉄樹が死去。 夏より月一回京都大徳寺に参禅に通う。 【1949年(昭和24年)】 毎日新聞の谷崎潤一郎原作「少将滋幹の母」の挿絵を執筆。 【1951年(昭和26年)】 「小女」が第8回毎日美術賞を受賞。 【1954年(昭和29年)】 「O夫人坐像」が第4回上村松園賞を受賞。 【1955年(昭和30年)】 第39回院展で「裸婦」が昭和29年度芸能選奨美術部門文部大臣賞を受賞。 【1957年(昭和32年)】 第41回院展で「少女」が第8回毎日芸術賞を受賞。 【1958年(昭和33年)】 日展院展評議員になる。 【1962年(昭和37年)】 第46回院展で「母子」が第18回日本芸術賞を受賞。 【1973年(昭和48年)】 勲三等瑞宝章を受章。 【1975年(昭和50年)】 第24回神奈川文化賞を受賞。 【1976年(昭和51年)】 日本芸術院会員になる。 第一部(美術)では、上村松園以来2人目の女性会員。 【1978年(昭和53年)】 日本美術院理事に就任。 文化功労者となる。 【1979年(昭和54年)】 第3回滋賀県文化賞を受賞。 【1980年(昭和55年)】 文化勲章を受章。 女流画家としては上村松園以来であり、女性として文化勲章を受けたのは三人目。 【1981年(昭和56年)】 大津市名誉市民となる。 【1990年(平成2年)】 日本美術院理事長に就任。 【1994年(平成6年)】 白寿を記念して天皇・皇后両陛下より銀杯一組と皇居の梅を下賜される。 【1995年(平成7年)】 3月、満百歳を迎える。 鎌倉市名誉市民となる。 【1996年(平成8年)】 4月、日本美術院名誉理事長に就任。 【1998年(平成10年)】 奈良女子大より名誉博士号を与えられる。 【1999年(平成11年)】 パリ・三越エトワールにて海外で初めての個展を開催。 【2000年(平成12年)】 7月23日、急性呼吸不全のため逝去。105歳。 従三位に叙せられる。 |